今年の厄は今年のうちに

 びっくりするほど浅ましく私利私欲に突き動かされている人は、逆に単純すぎて憎めない人でもある、とあっさり大胆に周りに受け入れられてしまうのが罠なのだ。でもそこである程度の信用と利害をちゃんと責任を持って調整しておけばそんなにゴタゴタ困ったことにもならないからいいじゃんというこの世を舐めた態度のただでさえあんまり役に立ってない客観性を過信した視野狭窄にこれ以上足を掬われないようにしよう、明日から、来年から、いつか絶対救いようのある内に、と思った。そしてそういう困った人をなあなあで同レベルで許容しているとこっちまで影響されていないとは限らないのではないかというのがさらにクリティカルな点だ。ともあれ(どんなネガティブな事態を引き起こそうとも)真心って結局最終的にとても大事なんだねーということを学んだ一年だった。


『必要なのは、偶像の怠慢な永遠性のなかにあぐらをかいていることではない、変化し、消滅し、かくして普遍的な変形作用に力をあわせることだ。つまり、無名の存在として行動することであり、なすところなき、名前だけの存在とはならぬことだ。とすれば、創造者が抱く、死後の存続の夢想は、安っぽいばかりではなく、嘘っぱちなものと思われる。そして、世界のなかで、この世界のために、無名のままで果される真実の行為は、どれもこれも、死に対して、ひとつの勝利を、一層真実で確かな勝利、少くとも、もはや自分自身ではなくなったなどというみじめな悔恨をまぬかれた勝利を、断言しているように思われる。』(モーリス・ブランショ「文学空間」)


ミシェル・フーコーはとりわけ「批判機能」の衰微を不満に思う。たとえば「異なる思想のあいだの交流や討論、場合によっては相当激しい議論、これらはもはや表明の場をもたない。雑誌を考えてみたまえ。同人雑誌であるか、それとも退屈な折衷的傾向の媒体であるのかのどちらかだ。批判の仕事の機能そのものが忘れさられてしまっている。五〇年代には批判は一つの仕事だった。本を読むこと、本について語ることは、いわば自分自身のために、自分の利益のために、自己変革のために、人が夢中になって行った鍛錬だった。好きでない本について上手に語ること、あるいは、ひどく好きである本について十分な距離を置いて語ろうと試みること、この努力のおかげで、書かれたものから書かれるものへのあいだに、本から本へのあいだに、著作から著作へのあいだに、何かが通っていた。ブランショとバルトが五〇年代のフランス思想のなかに導入したものは多大であった。ところが批判はこの機能を忘れてしまい、政治的で法律的な機能で間に合わせたように思われる。つまり、政敵を告発し、裁き、有罪の判決をくだす。もしくは判断をくだして賛美する、のいずれかだ。これは最も貧弱で最もおもしろくない機能である。ぼくは誰ひとりとして責めてはいない。個々人の反応が制度のメカニズムと密接に混ざり合っていることを充分すぎるくらい知っているので、責任の所在はそこあると、あえて言いたいほどである。しかしながら今日では、真の批判機能を受け入れるべきいかなる型の出版物ももはや存在しないのは明白である。」』(D・エリボン「ミシェル・フーコー伝」)



『読書とは事実おそらくは隔離された空間での眼に見えぬ者をパートナーとするひとつの舞踏、「墓石」との楽しい、熱狂的な舞踏なのである。この軽快さにもっと重々しい心労の運動を望んではならない、なぜなら軽快さがわれわれに与えられるところには、荘重さもまた欠如してはいないのだから。』(モーリス・ブランショ「文学空間」)


  「アワーミュージック」が日本に上陸してから「ソシアリズム」までもう5年も経ったのか……。まだ映像を学んでいたその間に作った手書きアニメーション、「うめくゴダール頭」(2006年)を発掘してみる。