締め切りが来ると寝込む男

 
 もうだめだ……




日野 僕はトルコのカッパドキアってところに行ったことがあるんだけど、あれは、ローマ帝国の終わり頃に、世界の終わりと神の審判が近づいたと本気で信じたキリスト教の修道僧が籠もったところなんです。ところがいまはトルコはイスラム教だから、その遺跡がまったく現実性がないのね。そこに岩をくり抜いた窓みたいなところがあって、そこで風の音を聞いていたら、アポカリプスは二〇〇〇年間来なかったんだなあって思ったわけ。彼らは本当に信じていたわけだし、われわれは終わるべき世界を二〇〇〇年生きてきた。これからもたぶん来そうで来ないだろう。そんなことをカッパドキアの荒地で考えていたら、とてもけだるい気分になって……。
浅田 続くでしょうね。そう簡単には絶滅できないようになっている。(……)しかも、来ないとわかっている全否定が来るのを延々と待ち続けるというところから、あのゴージャスな無為が出てくる。それは非常にデカダンでありながら倫理的なものなんですね。
日野 真の倫理性というのは、ほんの一ミリこちらに寄れば、滅びるかもしれない、滅ぼすこともできる、その誘惑と恐怖を常に感じながら、ぎりぎりの尾根のようなところを歩いていくってことですよ。
浅田 それはまさに審美的なものでもあるわけで、結局はスタイルの問題でしょう。バラードって人はとにもかくにもスタイリストだから、そういう意味での絶滅の倫理=美学だけは見事に貫き通してきている。それが、このデカダンな快楽主義者をかくもノーブルたらしめている唯一の源泉なんじゃないかという気がしますね。』(日野啓三×浅田彰J・G・バラード―結晶の美学、絶滅の倫理」)