たたかう音楽の空間現代は、いかにして可能か、、、

 Battle(s)/Music(s)????!!!!! ぐわー。純度100%のメルツバウをまともに食らったせいでまだ頭がキンキンしてるよ……。いつもに増して接触が悪い。
 この早稲田祭のライブに行ってきたのだが、出演は空間現代、SJQ、d.v.dメルツバウ、DJ佐々木敦。まずライブを観るのは2回目の空間現代はギター、ベース、ドラムのシンプルな3ピースでストイックでミニマルなポリリズムコンポジションしてて、一番よく言われるのはBATTLES以降のマスロックだろうけど、バンドなのにリアルタイムでリミックスしてるみたいになってる。しかもそこに野口君の裏声気味のボーカルが相乗効果でニューウェイブ〜ポストパンクな昔の町田町蔵みたいなコールド・ファンクな土着の衝動みたいなのが入ってて、クラウス・ノミを参照している、単に好きなだけかもしれないけど町田町蔵(現・町田康)のオペラ風味(笑)というよりそれってプログレの直系か、独特の変調の味付け。これだけ言うとめちゃくちゃかっこいいバンドみたいだけど、実際見てみればわかる。さらに新展開としてHOSE的な逸脱も?ベースが暴れているだけかもしれないが。SJQと空間現代を並べて聴くとファンクネス=音の快楽のメカニズムを一回デジタルにグリッド上で解析して抽出したものを人工的にライブ演奏しているようなドラッギー(合法)な音楽じゃないかと、10年前はprefuse73で今はフライング・ロータスとかのポスト・テクノ/エレクトロニカのデジタル・ヒップホップがやっていることにも近いのかも。Simとかもあったし、テクノロジカルなサウンドの快楽中枢システムを唯物論的にスキャニングする研究成果はレーベルとしては一貫している。音源を網羅しているわけではないので知っていることしか言えませんが。
 音が聴かれずにキャラクター人気で「音楽」としてしまう最近の二次元化する状況に四次元を取り戻す、現在のジャパニーズの音楽業界がもたれかかる菊池成孔相対性理論パラダイム(当人が悪いとは限らない)へのアンサーとして、耳の怠惰さを撃つイベントだと思ったよ!!アラザル3の締め切りがもうとっくに過ぎてっからこんなことやってる場合じゃないんだよ!!
 数年ぶりに聴いたメルツバウはPCから緻密な電子の爆撃轟音を重ねて彫刻し、エフェクター以外にギターみたいな形の新兵器も登場し、聴覚のデトックス。最近ヒップホップばっかり聴いてたからスクラッチノイズの延長みたいな、「ズンズンタッ・ズンズンタッ」っていうブレイクビーツを10,000曲ぐらい圧縮してるみたいにすごいブレイキンな音楽に聴こえてしまい、メルツバウブレイクダンスできるんじゃないかみたいなBPMに合わせようと思ったらたぶん関節疲労で複雑骨折するだろうけど。

『音楽の問題は、音楽の領域内で解決のつくものではない。文化だけの問題でもない。社会を、個人を、生活を、思想をつらぬいている深い裂け目は、全体の同時的変革を、そのための集団的想像力の苦行を要求している。それは、分裂の結果、抑圧の底に押し込まれてしまった魂の呼吸だ。その声をきくことができる者は、枯れはてた草原に落ちる明日の火花となるだろう。』(高橋悠治「たたかう音楽」、「高橋悠治コレクション1970年代」平凡社ライブラリー

 Nasの「One Mic」のように(歌詞参照)。
 


STILLMATIC

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 大ネタばっかり使うって怒られるのはJLG的な強引なモンタージュの悪影響……